ハンス・J・ウェグナーの詳細
ハンス・J・ウェグナー 1914-デンマーク、トゥナーに生まれ
父が靴作りのマイスターだったこともあり、ウェグナーは子供の頃からものづくりに慣れ親しんきました。13歳の頃、近所の木工のマイスターに弟子入りし17歳でマイスターの資格を取得。それから兵役に付くまでの3年間、家具製造家H F Stahlberg(その工房は大工の仕事から指物仕事まですべて行っていました)で働きました。
20歳の時に徴兵で首都コペンハーゲンに出てきたことが、家具職人への転機となります。23歳のときにコペンハーゲンの美術工芸学校家具科に入学し家具の設計を専攻し、卒業後、25歳でオーフスにあるエリック・ムラーとフレミング・ラーセンの共同事務所に勤務し、オーフス市役所の設計コンペに入選したアルネ・ヤコブセンとエリック・ムラーが共同事務所を新しくつくった時、家具のデザイン担当として働き始めます。
その頃、仕事を通じてヨハネス・ハンセンと知り合い、彼らの長い付き合いが始まりました 。ウェグナーはヨハネス・ハンセン社から多くの椅子を発表しており、1992年にヨハネス・ハンセンが廃業した後は、その下請け企業のPPモブラー社が引き継いでいます。
1943年に独立したウェグナーだが、どのように自分のスタイルを作っていけばよいものか非常に悩み、そして自分のスタイルを生み出すきっかけとなったのが、中国明代の『圏椅(クワン・イ)』だといいます。そこから発想を得て、チャイニーズチェアを製作、6年後、それに改良を重ねたラウンドチェアを発表します。
そして、ウェグナーの評価が確固たるものとなったのは1950年のことでした。アメリカのインテリア誌『インテリア−ズ』にウェグナーの『ラウンドチェア』が紹介され、高く評価されました。現在までに500種類を越す椅子をデザインしていて、世界の多くの美術館の永久コレクションとして収められるなど、世界的に高い評価を得ています。1995年には故郷のトゥナーにはウェグナー美術館が設立されています。
彼らは映画制作、写真、展示デザイン、グラフィックデザインなど、60~70年代のモダンデザインのパイオニアとして活躍しました。
デザイナー名一覧
- アイリーングレイ
- 安積伸&朋子
- アルヴァー・アールト
- アレッサンドロ・メンディーニ
- アンナ・カステッリ・フェリエーリ
- イームズ
- 乾 三郎
- ヴィコ・マジストレッティ
- ヴェルナー・パントン
- ウォーレン・プラットナー
- エーロ・アールニオ
- エーロ・サーリネン
- 剣持 勇
- ガエターノ・ペッシェ
- シャルロット・ペリアン
- ジョエ・コロンボ
- ジャンカルロ・ピレッティ
- ジョージ・ネルソン
- ステファノ・ジョバンノーニ
- チャールズ・レニー・マッキントッシュ
- 蓮池槇郎
- パトリシア・ウルキオ
- ハリー・ベルトイア
- ピーター・ギーツィー
- フィン・ユール
- フランク・ロイド・ライト
- ポール・ケアホルム
- ポール・ヘニングセン
- ハーマンミラー
- バウハウス
- マイセル・ブロイヤー
- マイケル・グレイヴス
- マルコ・ザニーニ
- ミース・ファン・デル・ローエ
- 柳 宗理
- リチャード・サパー
- ル・コルビュジェ
- 渡辺 力



