ケリー博士事件とは?
米英がイラク攻撃に踏み切る発端となったのは、2002年イギリス政府が公表した文書で、イギリス情報機関が入手したデータを下に作成されたとされるこの文書は「イラク軍は45分以内に、化学・生物兵器を実戦配備できる」という内容でした。
しかし、フセイン政権崩壊後も大量破壊兵器は発見されず、この情報はイラクの脅威を誇張した虚報との疑念が生じ、「イギリス政府が情報機関の反対を押し切ってイラクの脅威を書き加えたもの」と報じました。
6月BBCの取材記者は下院外交委員会でこの「情報操作」についての「責任者はキャンベル報道・戦略局長」と証言しました。
キャンベル局長も同委員会に招致されましたが、BBC報道は誤りであると証言し、委員会も情報操作はなかったと結論付けました。
翌日記者の取材取材を受けたというデービット・ケリー博士が現れ、博士は下院外交委員会で追及を受けましたが、3日後に遺体で発見され自殺と断定されましたが、イギリス国内には自殺原因について疑念が消えていません。